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朝焼けの

出勤前、自宅の真西にある風越山が朝焼けに赤く染まっていたので慌てて写真に収めました。

3日は飯田市街地でも数10センチの積雪がありました。もちろん、いいことばかりではありませんが雪が降るというのは何だかとても大切な気がします。きちんと四季が回っているのを感じられるというのか。

引っ越してからもう3回、自宅やら会社やらで雪かきをしてますが、そういうときにアフガニスタンのことを思い出します。着任早々、ちょうど2年前ですがアフガン北部の事務所一帯で10センチ以上の積雪があり、スタッフが事務所の雪かきをしてくれました。灼熱の砂漠で、雪どころか雨さえ降らないと思っている人は多いでしょうが(実際、そういう地域や季節はあります)、それだけではないと気づかされたのを覚えています。

腰を痛めゼーゼー息をしながらも、雪をかいていたスタッフのことをぼんやり思い出しながら、自分自身も雪と格闘する毎日です。


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新たな生活を

約半年ぶりの更新です。

恐らく、これを読んでくださっている方のほとんどには通知しましたが、(漏れている方大変済みません)2007年8月にアフガニスタンとタジキスタンを去り、日本で仕事探しをしていました。以前の日記でもそれとなく触れていましたが、私としてはこれ以上、援助という仕事に関わり続けることを辞めようと思った次第です。

紆余曲折ありましたが、2008年1月から長野県飯田市で働き始めています。製造業の営業職として、海外相手に製品を売る仕事です。これからも、何らかの形でアフガニスタンやタジキスタンと関わっていきたいと思いますが、今の仕事としては製品が製品なので、恐らく100年経っても私がこれまでいたような国とは仕事できないでしょう。主に北欧を担当することになりました。

何故、人道支援でなくメーカーの営業職なのか。何故、東京や海外でなく日本の地方都市なのか。自分の中では、ある程度の理由付けはあります。が正直、私自身の中でも明確な答えが出ていません。人道支援の道を外れてしまったことへの後ろめたさ、地方都市でくすぶってしまうのではないかという恐れ。果たしてこれで良かったのかと、今でも考え込みます。

先日、帰国と再就職の報告に訪れた旧知の方から言われました。「旅はまだ始まったばかり」だと。ああ、なんてキザな言葉。でも、そのときは何故だか感じ入ってしまいました。

今の仕事を定年まで続け、飯田市に住み続けるかどうか分かりません。最終的には自分が決めることですが、しばらくはここから世界や自分を見つめ直します。そういうことができる仕事、場所であることは確かだと思ってます。


自宅裏に地元のシンボル風越山(標高約1500メートル)があります。その中腹からの飯田市街や南アルプスの眺めです。


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タロカン最後の日

昨日(30日)、事務所のあるタロカンを離れました。

8月半ばで駐在員の職を離れ、日本に戻ることにしました。今いるNGOの東京事務所で働くこともしません。完全にNGO、支援業界から離れます。

突然のお知らせで恐縮ですが、以前から考えていたことです。こういう結論に至った経緯は追ってお知らせしたいと思います。

とにかく、昨日はタロカン最後の日でした。

仕事の都合上、職員の一部とは8月に入ってからも会いますが、事務所の警備や料理を担当していた職員とはこの日が最後でした。私は現地の言葉にさして通じているわけでもなく、じっくり話す機会はありませんでした。それでも1年半、一緒に仕事をしてきた仲です。別れの言葉として何を言おうか考えましたが、あれこれ言わず「日本に戻っても、何かアフガニスタンとつながる仕事がしたい」とだけ言いました。

私がここで感じたアフガニスタンの過酷さとは、単なる治安の悪さではありません。むしろ、社会がまともに機能していないことからくる生活の厳しさ、生きにくさです。地方ではNGOや国連以外に大人数を雇用し、生活できるだけの給与を払える組織は限られています。以前、不祥事から解雇した職員もまだ無職だと聞きました。ある一人が懸命に仕事をしても、役所が賄賂を要求することもあり、周囲も金や土地を巡って足を引っ張ります。よほどしたたかにならない限り、豊かで平穏な生活を送るのは難しいでしょう。社会としてのまとまりや一定の方向性、安定した行政は一人の努力ではどうしようもありません。

そんな環境にいる職員に「がんばれ」とは簡単に言えません。

NGOを離れるわけですから、「あなたたちを支援してきたい」というのも、おかしい気がします。以前も書きましたが、「支援」することとはとても大変で、なまじっかなものでは余計に事態を悪くすることさえあると、ここに来て気づきました。

と、考えて出てきた言葉が「アフガンとつながる仕事」でした。私はそれほど多くの外国に行ったことはありませんが、アフガニスタンには多様性があり、複雑であるがゆえに惹かれるものがありました。関係を続けていきたいと思うのは確かです。「がんばれ」でも「助ける」でもない、「つながる」という言葉はそんな気持ちから出てきました。

タロカンを離れ、空路カブールに到着しました。


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治安悪化と元国王死去

長らく更新せず済みませんでした。

カブールからタジキスタンの首都ドゥシャンベの事務所に移動し、またカブールに移動。23日にタロカンに戻ってきました。

ちょうどその日、アフガニスタンの元国王ザーヒル・シャーがカブールで亡くなりました。亡命中の30年余り、イタリアに暮らしていましたが、92歳という寿命は医療環境も生活環境も過酷なこの国ではなかなか考えられない年齢です。翌24日から3日間、政府は国を挙げて葬儀を執り行い、喪に服しています。テレビでも連日に渡って葬儀の様子を中継しています。

一方、韓国人やドイツ人の誘拐事件が頻発しています。誘拐された中には、すでに亡くなった人もいます。昨年から徐々に治安が悪くなっていますが、最近は加速度的に悪くなっているように感じます。今の政府に国を統治する十分な力があり、最も大切な国民の信頼も勝ち得ているとは言い難いです。タリバンの資金源や活動の源泉、実効支配地域との関係は分かりません。ですが、タリバン支持者でなくとも政府への不信感を抱いている人は少なくありません。これまで私が会ってきたアフガン人でも不信感を口にする人がいました。

あるアフガン専門家が言っていましたが、アフガニスタンは国王が各部族の支持を受け、イスラームの擁護者となることで国としてのまとまりを保ってきたそうです。確かに、ここは多民族国家であり、イスラームが強い社会規範になっています。

国民の政府への不信感、アフガニスタンの民族的、社会的背景を考えると、わずか数年で議会制民主主義を導入し、「ある程度」世俗的な社会・政治体制を確立することに無理があるように思えてなりません。法整備を進めることと、国民がそのような体制を理解し支持するのとは別です。ヨーロッパでさえ、1000年以上の時間をかけ民主主義を発明し、育ててきたのではないでしょうか。

私のいるNGOスタッフも、テレビで元国王の葬儀を見ています。泣いたり、悲嘆に暮れるわけではないですし、すでに国王ではありませんでしたが、アフガン人にとって何らかの意味があった存在なのだと思います。どのような存在なのか、それはまだ分かりませんが、この国の混乱を目の当たりにしたとき、何かヒントがあるように感じました。

話とは全く違いますが、23日に飛行機でタロカンに着いたときの写真です。原野に2本の溝を掘って滑走路の範囲を示す「飛行場」に降り立ちました。


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アフガンのサソリ

1日から出張でカブールに来ています。ここでは、私たちのNGOのカブール事務所、ホテルなどで仕事をしてます。

今日、事務所を訪れたところ、庭でサソリが見つかったとのこと。前の晩は現地のスタッフが刺され、念のため病院に行ったようです。スタッフが物置など暗がりや隙間を探したところ、一匹のサソリを見つけ、その場で処分しました。

初めて見た実物のサソリです。全てのサソリに致死性の毒があるわけではないようですが、蜂に刺されたように腫れ、痛くなるようで注意が必要です。サソリが一般的に生息する地域なので何とも対処に困りますが、「靴をはく際、中にいないか確認する」「かえって刺されてしまうので、慌ててはたかない」ということに気をつけるしかなさそうです。

タロカン事務所では見たことはないのですが、恐らくタロカンにも生息しているでしょうね。運がいいというか、たまたま見かけていなかっただけかもしれません。


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道中で

今日(27日)、久しぶりにホジャガに行ってきました。わずか20日振りですが、さらに暑く、さらに埃っぽくなっていました。風の加減でものすごい土埃が車内まで入ってくるので、さすがに窓を閉め切り、冷房を効かせての移動です。この土埃をどう表現すればいいのでしょう。とにかく、巻き上がれば視界を遮り、しばらく外にいるだけで口の中がじゃりじゃりします。

以前から写真に収めたかった乗り合いトラックです。舗装路がないアフガンの田舎にとって、悪路に強い日本の中古トラックは大変重宝しているようです。荷物を運んだり、人を運んだり、柔軟に対応できるからでしょう。多いときには、一台のトラックの荷台に10人以上が乗っています。山のような人を乗せ、乾いたアフガンの大地を疾走するトラックはなかなか壮観です。

女性(青と白のブルカをかぶっている)と子どもを囲うように男性が座っています。土埃がひどいので布を口に当てています。それにしても、落ちたりしないのでしょうか?絶対に何人もの人が落ち、大けがを負っていると思うのですが。

そろそろ時期も終わりですが、田植えにも出会いました。日本ではだいぶ前に終わっているでしょうが、こちらは6月が田植えのメーンシーズンです。日差しが強く、種類も違って成長が早いのでしょう、日本より早く稲刈りが始まります。ちなみに、細長い種類の米です。家庭ではタマネギとトマトで味をつけたピラフを食べ、食堂では羊肉やニンジン、干しぶどうなどと交ぜたピラフを出します。

子どもたちが手で植えていました。こちらで田植機を見たことはありません、みな男手の手作業です。日本のように整然と苗が並ばず、何となく間隔を開けて雑然と植えられます。


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危険と認識

もうご存じだと思いますが、先日カブールで起きた爆弾テロで邦人が巻き込まれました。手術を受けた方もいるそうで、命に別状はないとのことですが、医療環境の悪い国なので後々症状が悪化しないといいのですが。

これまではアフガニスタンに侵入したテロ勢力が主に犯行に及んでいたようですが、近頃はアフガン人も関わっているようです。私たちのNGOのスタッフ曰く、「ソ連と戦っていたときでさえ、アフガン人は自爆攻撃などしなかったのに」と嘆きます。

何が彼らにそうさせるのか、「外国人が嫌いなのか」「徹底したイスラーム社会を築きたいのか」「誰かにそそのかされたのか」「周辺諸国の手引きがあるのか」…。「米英軍の攻撃がいけない」「先進国がイスラームを尊重していない」などいろいろ理由をつける人はいます。が、大多数のムスリム(イスラーム教徒)はそのような犯行に及ばないわけで、彼らをそこまで駆り立てるものを世の中の一般的な事象にのみ求めるのは困難でしょう。

何はともかく、彼らがそう思いこみ、動いている以上、こちらとしてはそれに対処するしかありません。「単独での行動は避ける」「陸路での長距離移動は避ける」「国連やほかNGOとの連絡を密に取る」、そうやってはいますが、相手は個人なので、どうにでも動けるわけです。極端な話、町で隣にいる人間がテロリストかもしれない。最後はそういう想像力を働かせていくしかないのです。

私も先日、カブールを訪れた際には市街地を動き回っていたので、以後気をつけます。


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あせも

最近は事務所に缶詰です。

近々パキスタンに買い出しに行きたいので、現地の業者から見積書を受け取ったり発注したり。ほかのNGOとの話し合いの準備やらで、必然的にメール、パソコン仕事ばかりです。

こちらは金曜日、土曜日が休み。イスラームでは、金曜日に休息を取り、モスクに行って礼拝することになっているので、それに合わせています。残念なことに、外国人を狙った誘拐事件、外国の駐留軍を狙った自爆事件などが起きているので、休みに1人で出かけることもできません。

ということで、ここしばらくは軟禁状態です。

首の周りがガサガサするな、と思っていたらあせものようです。かゆい。30歳過ぎであせもになるのはかなり無念です。夜中はそれなりに冷え込みますが、それでも暑いのでできてしまったようです。

もちろんエアコンなどありません。電気はすべて事務所の発電機で起こしているので、一日中電気が使えるわけではありません。パソコン仕事のとき、ボイラーでお湯を沸かすとき、井戸から水をくみ上げるとき、そういうときにだけ使っています。水も大切ですが、こちらに来て電気のありがたみにもっとも気づきました。

そういう大変なところです。現地の人からすると、これでも十分高級な暮らしなのです。


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子どもとアイスクリーム

暑いです。日差しが半端でない強さです。腕を窓にかけ、しばらく車に乗っているだけでたちまち焼けます。

加えてとてつもなくほこりっぽい。乾燥しているので、風が吹くとこまかい土埃が舞い上がります。道も舗装していないので、車とすれ違うと土埃をもろにかぶります。窓を開けているとあっという間に髪がぼさぼさします。

そういう道を2時間半かけ、タロカンの北西の町、ホジャガにやってきました。私たちのNGOはここで診療所を運営しています。今日は診療所の大家と賃貸契約を結び直しました。

診療所の裏手に女学校があります。「男女七歳にして席を同じくせず」ではありませんが、男女が同じ建物で学ぶのはよろしくないようです。もっと言えば、「女性が教育を受けるなどとんでもない」という人もいて、夜中に女学校を焼き討ちしたり、学校の井戸に毒物を投げ込んで女生徒を病院送りにする、ということも耳にします。男女を分けたり、女性に教育は不要とする考え方が、イスラームに基づくものといっていいのか分かりませんが、そういう人に限ってイスラームを持ち出したりすることも確かです。

話がそれましたが、そういう子どもを当てにしたアイスクリームの露天がクリニックの道向かいにできていました。こちらでアイスクリームは「シーレ・ヤフ」(冷たい牛乳)と言って、トルコのアイスクリームのように伸び、バラの香りがついています。

日本だったら、先生が絶対に許さない「登下校中の買い食い」です。男女別席はうるさくても、こういうところはうるさくないようです。ちょうど下校時に当たり、たくさんの女生徒が周囲で「買い食い」していたのですが、みんなレンズを向けると逃げてしまいました。一応、露天の男性には「撮ってもいいか」と聞きましたが、女性を撮る場合には気をつけないといけません。男の子の場合は逃げたりせず、じーっとレンズをのぞき込むのですが。

私も時々は「シーレ・ヤフ」を食べますが、食中毒や感染症が怖いので滅多なところでは食べません。


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タロカンへ移動

5日、カブールからアフガニスタン北東部の町タロカンまで移動しました。早くブログも更新したかったのですが、タロカンの事務所に着いてから、この100日間にたまりにたまった仕事をこなすのに精一杯でした。暑さ(恐らく35度以上)も手伝って、かなりハードです。

タロカンへの移動には国連機(UNHAS: United Nation Humanitarian Air Service)を利用。本当はカブールからタロカンまで直接飛ぶ、別のNGOが運営する飛行機が良かったのですが、あいにく満席でした。UNHASの場合、カブールから北東部の町クンドゥズまで約1時間のフライト、そこから事務所車両を使い、約1時間半かけタロカンに移動します。

午前10時に空港に着くよう言われたため、時間に合わせて行ってみたものの、すぐに飛行機が飛びそうな気配はなし。11時過ぎになって、担当者が「こちらに向かっている飛行機が遅れている。(クンドゥズの次の目的地でアフガン北東部の)ファイズアーバードには天候次第で行けないかもしれない」。かわいそうに、ファイズアーバードを目指している別の乗客は携帯で連絡を取っていました。

乗り込む予定の飛行機が着いた気配もなく、ひたすら2時間待ち続けました。国内線で、おまけにスケジュールがしっかり決まっていてもこれほど待つものなのでしょうか?せっかく国連機を名乗っているので、もうすこしスケジュール通りになって欲しいものです。

翼に黒々と「United Nations」とあります。先に止まっているのはアフガニスタンの航空会社「Kam Air」。

クンドゥズ行きの飛行機は20人も乗れないほどの小型機。雲の間や大気の不安定な場所を通ると上下左右にゆらゆら揺れるのが分かります。飛行機がどんなところを通っているのか分かるので、個人的には結構好きです。

ともかく、無事にタロカンに着きました。今年2月22日以来です。


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