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アフガン、タジクの料理(その4)

料理とはちょっと違いますが、タジクのきのこの話です。

タジキスタンでは、暑くなりきる一時期、バザールや各地できのこが売られます。これはドゥシャンベ南の郊外。幹線道路の脇に臨時の直売所みたいなものができます。

ここの直売所では、キロ350円以上とドゥシャンベのバザール並みに高く、ややしなびていたので買いませんでした。が、近くの野外レストランで油で炒めたものを食べてきました。きのこは写真にもあるように真っ白で、特に強い香りも独特の食感もありません。ブナシメジとエリンギの中間のような感じです。タジキスタンでは油で炒めて食べるのがポピュラーなようです。

この白いきのこのほかにも、シメジのようなもの、傘にしわがあり大きく開かないもの(日本での似た種類が分からず)など何種類かあります。不思議なのがきのこの生える場所。日本では山奥深い森の中にひっそりと生えているイメージですが、ここでは草原にひょっこりと出てくるそうです。


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アフガン、タジクの料理(その3)

今回のメーンは左側の赤っぽい色の食べ物。カブールからの帰路に食べた、牛の脚を煮込んだ「パーチャ」という料理です。

豚足と同じでいわゆる「肉」の部分はほとんどなく、骨とゼラチン質の皮の部分がほとんど。結構油っぽいです。何かしらの香辛料は入っているのでしょうが、感じるのはわずかな塩味と臭さ。写真でも、右下の香辛料の皿にあるコショウをたくさんまぶしています。ゼラチン質の部分をナンでつまんで食べたり、ナンをスープに浸しながら食べます(手は現地スタッフ)。写真にもある唐辛子(十分辛い)はそのままかじります。

美容には良さそうで、よく煮込まれたおいしい料理なのですが、どうもにおいは気になりました。あと、アフガン料理全般に言えることですが、油っぽい。スタッフも普段の羊料理ではあれほど香辛料をかけないのですが、やはり気になっているんだと思います。日本でも牛肉には独特のにおいがありますが、あれを何十倍にも凝縮したと言えば良いのでしょうか。やはりタジキスタンでも牛肉は臭い。

日本で食べられる牛は飼育方法によってにおいが抑えられているのか、そもそも品種が違うのか分かりません。昔はアフガンやタジクの牛のように臭かったのでしょうか。日本でもイノシシなど野生動物の肉は臭いといいますし、確かに、こちらの牛は放牧に近い飼育形態で、自由に野原で草を食べています。そういうことに詳しい人がいれば、また聞いてみたいものです。


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アフガン、タジクの料理(その2)

これはタロカン(アフガン北部)にある私たちの事務所の夕食。右側がナン、左側がほうれん草の炒め物です。

事務所は大所帯で、泊まり込みのスタッフやガードもいるため、昼食と夕食を作ってくれるコックを雇っています。夕食はナンとおかず一品が基本、そのおかずの味付けも薄いトマト味というところが基本。ほうれん草でも、ブロッコリーでも、ナスでも、ジャガイモでも、豆でもほとんど同じ味付けです(調理方法は炒める、もしくは煮るの二通り)。夕食で肉や魚を見たことはありません。

一般的なアフガン人もそれほど豪勢な夕食をとってはいないでしょうし、食材費をNGOで負担していることを考えると、なかなか「良い食事にして」とも言えません。

この日はなんだかとても切なくなって写真に収めました。


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アフガン、タジクの料理(その1)

二ヶ月にわたり、ほったらかしにしていて済みませんでした。出張のため、アフガニスタンとタジキスタンから離れるなどしていたら、ずるずると休みが続いてしまいました。

ここしばらくタジキスタンに留まる予定です。タジキスタンの障害者支援に向けた資金を受け取るため、私たちのNGOとドナー(資金を出してくれる団体)との間で交わす契約の準備など、こちらでの仕事が立て込み、もうしばらくアフガニスタンには行けなさそうです。事務所のあるタロカンは今頃さぞかし暑くなっているでしょうから、こちらにいるほうがやや涼しくて良いのですが。

ですので、ここしばらくのうちに撮りためておいた食べ物の写真を紹介します。

一目見ても何だか分かりません。が、体長10センチほどの川魚のフライです。

場所はアフガニスタンとタジキスタンの国境を流れるアム川(アムダリア)のアフガン側。世界史や地理で習ったかと思いますが、アム川はその後ウズベキスタンの方へと流れていき、最後はアラル海に注ぎ込みます。

いつも土砂が混じった赤茶けた水の色をしているので、見るからにあまりおいしそうな魚はいなさそうなのですが、試しに食べることにしました。

魚は大小あり、小さいほうが安くなります。安いのでもキロ600円ほど。店の人がその場で塩をまぶすなどの下ごしらえをし、油で揚げてくれます。

味はなんとも不明です。油で長時間揚げているので、小さな魚ならば骨まで食べられるのですが、火が強すぎるのか身から水分が飛んでしまい、魚の風味がしません。

あと、残念なのがこれをナン(平べったいパン)で食べること。魚と白いご飯という組み合わせに慣らされてしまっていて、ナンではどうも物足りません。


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外国語を学ぶこと

ドゥシャンベの外国語大学で31日、日本語の弁論大会がありました。「審査員を」と頼まれ、出かけてきたのです。

大会と言っても大げさなものではなく、ドゥシャンベの2つの大学から12人が参加、ホールというよりもあまり大きくない会議室が会場というささやかなものでした。大会の上位2人が約1ヵ月後、カザフスタンで開かれる中央アジア大会に進めるそうです。

初めはあまり深く考えていなかったのですが、審査はなかなか大変でした。スピーチの内容、聞きやすさなど審査基準は大学側から示されていますが、参加者にどう相対的に点数を割り振っていくのか。最も大変だったのは質疑応答。簡単で明確な文法で、かつ無理のない質問をと頭では分かっているのですが、焦ってかえってこちらの文法が怪しくなるという、何ともしどろもどろな質問をしてしまいました。

タジキスタンの昔話を単に日本語に訳したもの、変に熟語を使いすぎてかえってぎこちない印象を与えるものなどもありましたが、身近な出来事や考えたことを分かりやすく、ユーモアも交えながら、自分の考えをきちんと伝えているものもありました。

自分の辛かった過去を発表した男性が1位になりました(私も彼に最高点を与えていました)。1990年代のタジキスタン内戦時、子どもであるにも関わらず夜通し働いていたこと、シベリアに出稼ぎに出た際、ロシア人に屈辱とも言える差別を受けたことをよどみなく話してくれました。彼の経験、大学前に出稼ぎに出なければならない厳しい経済状況(多くの人がロシアに出稼ぎに出ており、家計を支えるだけでなく、貴重な外貨獲得源にもなっています)、これはタジキスタンの人が少なからず経験していることかも知れません。彼が「ロシア人に対する敵意、恨みはない」と、私の質問に答えてくれたのが印象に残っています。

彼らの多くが「通訳などでタジキスタンと日本をつなげたい」と話していました。が、実際はなかなか厳しいのです。隣国のウズベキスタンやカザフスタンと比べ、この国に入ってきている日本企業は皆無に近いですし、シルクロードの観光ルートからも外れているのが事実、在留邦人数もアフリカの小国並でしょうか。ウズベキスタンは日本語教育が盛んなようですが、インセンティヴの差が現れているからなのでしょう。

ですが、最後に日本人の方が「日本語を学ぶことで、ほかの地域の社会や文化を理解するきっかけにしてほしい」という内容の講話をされました。私は納得ができました。

実は私も大学・大学院でペルシア語を学び、使っていました。日本におけるペルシア語も決して就職に有利ではありません。石油開発や警察などなくてはならない仕事もあり、そういうところで働いている人もいますが、それはごく一部です。私が今、同じペルシア語圏であるアフガニスタンとタジキスタンで働くことができているのは幸運なのです。

私は考えます。ペルシア語を通じ外国の社会や文化を知ることで自分の視野が広がり、そこから逆に自分の育ってきた社会を相対化して捉えることができるようになったこと、それが学生時代に培った最も貴重な経験だと。世界で起きていることをより身近に感じ、自分の育った社会から一度離れニュートラルな立場で物事を考えられること、それはとても大事なことです。

大学で特技を身につけ割の良い仕事に就くこと、経済的に厳しいタジキスタンではまだそれが求められているのは事実でしょうし、今後、彼らが日本語で仕事ができる機会が数多く生まれてほしいと思います。ですが、外国語を学ぶということはそういうことだけではない、自分の世界を広げ、自分を見つめ直すきっかけになることも分かってほしいと思うのです。


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シルクロードのその昔

23日、事務所のスタッフと一緒にヒッサールの要塞跡を見に行ってきました。

ここヒッサールは、タジキスタンの首都ドゥシャンベから西へ約20キロの町。ここに、20世紀初めまで実際に使われていた要塞があります。古くは10世紀ごろから要塞として使われ始め、途中モンゴル軍の侵攻も受けたとのこと。20世紀初め、ブハラ(現ウズベキスタン領の都市)から逃げてきたこの地域の王がソヴィエト軍と一戦まみえようと、一時立てこもったこともあるそうです。隣接して、キャラバンサライ(隊商宿)やイスラーム(イスラム教)の学校であるマドレセ跡もあります。

写真にあるのは要塞の入り口。高さ約20メートルのレンガ積みの塔が二本そびえ、戦争時には穴から矢を射ったり、槍を投げたりしたそうです。土塁が要塞全体を取り囲み、一部は高さ約40メートルもの小山のようになっています。自然の地形を利用したのか、人が何年もかけて積み重ねたのか、いまひとつ分かりませんが、そこからはかなり遠くまで見渡すことができます。

残念ながら、遺跡として丁寧に保存されているか、といえば?です。写真の塔なども修復にコンクリートを使っているようですし、みんなサッカーをしたり散歩をしたりと、内部は一種の公園のようになっています。さらに、近くの農家で飼われているであろう、牛やヤギが土塁の草を食んでいます。なるに任せているその様子は、「兵どもが夢のあと」のようで、かえってすがすがしくもありますが。ちょうどこの時期、こちらはノウルーズ休みで多くの人が来ていました。子どもたちも晴れ着を着ている様子。せっかくなので撮らせてもらいました。

ちなみに、ノウルーズとは「新しい日」の意味で、春分の日がそれになります。位置づけとしては日本の正月に当たるでしょうか。イランやアフガニスタン、中央アジアで広く祝われており、独自の暦を使用しているイランとアフガニスタンでは、そこで新年となります。こちらはちょうどこの時期、山々の草が一面に萌え、淡い緑色で覆われます。ですが、この時期を過ぎるととたんに酷暑となり、山々の草は黄色く立ち枯れます。もちろん憶測ですが、生命の息吹に合わせ、この時期に新年を持ってきた理由が、ここに一年暮らしてようやく分かったような気がしました。

タジキスタンには、中央アジアのほかの国々やイランなどに見られるような荘厳なモスク、宮殿、そのほか現在も残るような大規模な遺跡があまりありません。そういう意味で、ここはまったくの辺境なのかも知れません。ですが、古くはイスラーム(イスラム教)がこの地を通じて中央アジアに広まり(ガイド談)、モンゴルが来襲し、多くの隊商が行き来したことを思うと、裏街道だったかもしれませんが、ここもシルクロードの一部だったのかも知れないな、と思えてくるのです。


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タジキスタンのプロフ

先日、事務所のスタッフと昼食にプロフを食べに行きました。

プロフとは、油で炒めたニンジンやタマネギ、羊もしくは牛肉などと一緒に炊き込むご飯です。私はまだ訪れたことはありませんが、隣国のウズベキスタンやキルギスなどでも同様のプロフが食べられているそうです。味を何と例えればいいのでしょう?日本で似たような食べ物を思いつきませんが、ともかく「油を惜しげもなく使った炊き込みご飯」と言ったところでしょうか。

この日訪れたレストランはドゥシャンベ中心部から車で15分ほど離れた場所(ドゥシャンベは小さい町なので、15分も走ればもう農村です)にあるにも関わらず、味が良いとのことで多くの人が訪れていました。事務所スタッフによると、1990年代のタジキスタン内戦後、この場所に住んでいるウズベク人がレストランを始めたとのこと。曰く、「ウズベク人はおいしいプロフが作られる」。

プロフは2人、3人分が大皿に盛られて出てきました。写真手前の大皿は3人前。直接大皿から食べます。店によっては、米に芯が残っていたり、よく煮込まれておらず肉が硬かったり、すでに冷たかったりしますが、ここのプロフは野菜や肉、油を惜しみなく使っているからでしょうか、おいしいです。それにしても、シンプルな食材だけでどうしてここまで深い味が出せるのか不思議です。

ですが、難点はやはり脂っこさ。初めの数分は、味だけでなく油も食欲をそそってどんどん食べられるのですが、しばらく経つと体がさっぱりとしたサラダやお茶を欲し始めます。この日も全部は食べられませんでした。

とは言うものの、しばらくするとまた食べたくなる。毎日はきついでしょうが、2日か3日に一度は食べても良いかなと思います。日本でも、こってりしたラーメンを食べた後は「もういらない」と思うのですが、しばらくするとまた食べたくなる。プロフもそういう食べ物かも知れません。


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「渡す」「渡さない」の葛藤

日本では大分見かけなくなりましたが、町で物乞いをしている人にお金を渡しますか?

道の真ん中に座っているのはカブール市内で物乞いをしている男性です。ここは車の通行量の割に道幅が狭く常に渋滞しているので、お金をもらえる可能性が高いのでしょう。この通りでは常時、何人もの障害者や老人、母子連れが車道の真ん中に座ったり、車の窓ガラスをたたいたりして物乞いしている姿を見かけます。

危険を冒してまで車道の真ん中で物乞いすることのバイタリティーに圧倒され、「そこまでしないと生きていけないのか」とアフガニスタンでの厳しい暮らしを当初は想像していましたが、それほど単純な話ではなさそうです。私自身、食堂の客に一通り物乞いした後、そのままその食堂で食事を取る人を見たことがあります。西隣のイランでは子どもをレンタルし、「子連れで大変なんです」とアピールする物乞いがいたり、北隣のタジキスタンでは車で市場など人の多いところに乗り付けて物乞いをする人がいるようです。

もちろん、本当に生活に困って物乞いをしている人も大勢います。一方、一種の商売のように物乞いをしている人がいたり、物乞いすること自体への心理的な敷居の低さを感じさせることもしばしばです。身なりに大きな違いがない場合、特に外国人にはそれらの違いが分からないのです。

私はお金を渡したこともありますが、「物乞いでなく何か仕事を見つけ、そこから収入を得てほしい」と思っているので、できるだけお金を渡したくないのです。ですが、その人が働けるほど健康なのか?家族の中でほかに働ける人はいるのか?現在の所得額は?などいちいち聞いて、お金を渡すかどうか決めるのもおかしい。

結局は「誰にでも渡す」「誰でも渡さない」「時と場合の雰囲気と自分の気持ち次第」の3つから選ぶしかなさそうです。そうすると、やはり最後の項目に落ち着くのでしょうか。


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雑踏のカブール

今はドゥシャンベ(タジキスタンの首都)ですが、2月下旬に出張で訪れたカブールの様子を紹介します。

アフガニスタンに着任してから2ヶ月に1回程度の割合でカブールに来ていますが、雑然とした感じと埃っぽさは相変わらずです。

多くの道路が片側二車線かそれ以上あるにも関わらず、慢性的な渋滞。道路脇で野菜や果物、雑貨などの露天が立ち並び、周りの迷惑考えず客を乗せたり降ろしたりするタクシーやミニバスの類が多く、実際に車が通れる道幅が狭くなるからでしょう。アフガン全体に言えることですが、「運転ルールがないのがルール」のように感じます。運転マナーなど期待すべくもなく、アフガニスタンでは自分で運転しようとは思いません。

周囲に草木があまりなく土煙が立ちやすいのか、盆地で風通しが悪いからなのか良く分かりませんが、常に空気が埃っぽいように感じます。加えて、標高が高く(約1900メートル)空気が乾燥しているので、のどを痛めたり、風邪っぽくなったりと体調を崩します。今年1月の出張ではのどを痛め、2月の出張では食あたりになり下痢と体のだるさで参りました(気候が原因ではないでしょうが)。

シルクロード以来の交通の要衝―などさまざまな理由があるのでしょうが、こと気候の面だけ見ればよくもカブールを一国の首都に定め、多くの人が暮らしているな、と感心します。私が通常勤務しているターロカーンは夏場は暑く、マラリアの危険もありますが、それ以外はカブールよりもずっと過ごしやすいのです。

ここで生活しているだけでたくましいと感心してしまうのですが、山の斜面のほんのわずかしかないスペースに家を建てて暮らしている人もいます。もともとの標高も高いので、毎日の水汲みだけでも大変そうです。


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タジキスタンへ移動です

明日(2月22日)、約20日ぶりにドゥシャンベに戻ります。

今回のアフガニスタン滞在では、陸路でのカブール往復や仕事上の難題、トラブルなど大変でした。あらためてアフガニスタンの奥の深さというか、アフガン人相手に仕事することの難しさを認識した滞在でした(こういうことも、また折を見て書いてみたいと思います)。

ドゥシャンベは小さいと言っても国の首都なので、いろいろとリフレッシュできるでしょう。

夕方、事務所の庭に出ると上弦の月が出ていました。アフガニスタンの夕暮れは本当にきれいなのですけどね。


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