タロカン最後の日
昨日(30日)、事務所のあるタロカンを離れました。
8月半ばで駐在員の職を離れ、日本に戻ることにしました。今いるNGOの東京事務所で働くこともしません。完全にNGO、支援業界から離れます。
突然のお知らせで恐縮ですが、以前から考えていたことです。こういう結論に至った経緯は追ってお知らせしたいと思います。
とにかく、昨日はタロカン最後の日でした。
仕事の都合上、職員の一部とは8月に入ってからも会いますが、事務所の警備や料理を担当していた職員とはこの日が最後でした。私は現地の言葉にさして通じているわけでもなく、じっくり話す機会はありませんでした。それでも1年半、一緒に仕事をしてきた仲です。別れの言葉として何を言おうか考えましたが、あれこれ言わず「日本に戻っても、何かアフガニスタンとつながる仕事がしたい」とだけ言いました。
私がここで感じたアフガニスタンの過酷さとは、単なる治安の悪さではありません。むしろ、社会がまともに機能していないことからくる生活の厳しさ、生きにくさです。地方ではNGOや国連以外に大人数を雇用し、生活できるだけの給与を払える組織は限られています。以前、不祥事から解雇した職員もまだ無職だと聞きました。ある一人が懸命に仕事をしても、役所が賄賂を要求することもあり、周囲も金や土地を巡って足を引っ張ります。よほどしたたかにならない限り、豊かで平穏な生活を送るのは難しいでしょう。社会としてのまとまりや一定の方向性、安定した行政は一人の努力ではどうしようもありません。
そんな環境にいる職員に「がんばれ」とは簡単に言えません。
NGOを離れるわけですから、「あなたたちを支援してきたい」というのも、おかしい気がします。以前も書きましたが、「支援」することとはとても大変で、なまじっかなものでは余計に事態を悪くすることさえあると、ここに来て気づきました。
と、考えて出てきた言葉が「アフガンとつながる仕事」でした。私はそれほど多くの外国に行ったことはありませんが、アフガニスタンには多様性があり、複雑であるがゆえに惹かれるものがありました。関係を続けていきたいと思うのは確かです。「がんばれ」でも「助ける」でもない、「つながる」という言葉はそんな気持ちから出てきました。
タロカンを離れ、空路カブールに到着しました。
久しぶりに見ました。日本に帰ってくるんですね。もう帰ってきてるか。
いろんな経験をしたみたいで、ご苦労様でした。
また土産話を聞かせてください。酒を用意して待ってます。土産も待ってます。
よしだ。
by NO NAME (2007-09-05 02:27)